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新潟家庭裁判所 昭和40年(少)1422号 決定

少年 K・I(昭二二・七・三一生)

主文

この事件については、少年を保護処分に付さない。

理由

一  犯罪事実等

1  本件に至る経緯

少年は本籍地において父Nと母M子の間に長男として出生した。同胞には姉R子と妹F子がいる。ほかに、父方祖母I子、叔母Y子及びE子、叔父S等も同居していたが、父が病弱であることを除けば、別に取り立てて言うべきこともない極くありふれた農家であつた。父は太平洋戦争中応召して、中支戦線で病いを得、昭和二〇年三月帰還したのちも体調は芳しからず、働いたり療養したりの状態が続いたため、祖母、母及び叔母Y子らが主として農耕に従事し、叔父Sも昭和二五年三月中学校卒業後は家にあつて、これを手伝つた。

昭和二六年五月二七日、父は年来の結核性痔疾が悪化して遂に死亡した。同人が戸主として引き継いでいた家産はすべて少年が単独でこれを相続した。また、父の死亡後間もなく、親戚筋から、母M子と叔父Sとの結婚話がもちあがり、当時はSも未だ一八歳に過ぎなかつたこととて、母の意思が通り、一旦は沙汰止みとなつたが、昭和三一年に至り、これが再燃して、多少の曲折は経たものの、結局Sが兄Nのあとを襲つて、夫の座になおつた。昭和三三年には異父妹U子も生れている。かくて、「おじなおり」の因襲にならい、当事者に不自然な婚姻を強いて、一応は現状を糊塗しえたかにみえたが、しかしこれが将来に大きな禍根を残す結果となつた。

Sは元来頭がいい方でなく、知見も充分とはいえなかつた。三人の子を持つ一三歳も年上の兄嫁と敢えて婚姻したのも、独立して自活するだけの才覚と自信が持てず、無気力に安易な道を選んだものにほかならない。そのくせ、性格的には偏りの強い人物であつた。外でこそ無口で通り、勤務振りなどはむしろ真面目だと評される存在であつたが、内にあつては屁理屈をこねて家人に当り散らし、暴力も振う内面のわるい小心者で、そのうえ、酒癖も悪かつた。昭和二八年には、飲酒のうえ従兄の一人を玄翁で殴り、全治一ヵ月程の傷害を負わせて、当庁に係属したこともある。殊に、兄N死亡後は、家庭内にSの頭を抑える者がなく、そのわがまま、身勝手さはつのる一方であつた。

かかる素質上の欠陥に不自然な家族構成も手伝つて、Sはとかく他の家族から疎外されがちであつたこと、家産はすべて若輩の少年に帰属し、S自身は全くの無一物であつたことなど現状に対する不満、将来に対する不安と焦躁がさらにSをいらだたせた。少年に対しては、既に小学校高学年当時から、庭掃除その他の仕事を命じ、思うようにやらぬと夕食をたべさせぬなどの罰を加え、中学進学後は些細なことに言いがかりをつけて体罰まで科するようになり、仲裁に入る祖母及び母にも当り散らした。少年に対するかかる仕打ちが祖母及び母らを結束させてS自身の孤立化を一層深め、その欲求不満を増すという悪循環を拡大していつた。少年は昭和三八年三月中学卒業と同時に自家の農業に従事し、Sはこれを機に新潟市内の家具屋に倉庫係として就職したが、その後はますます少年の仕事に難癖をつけるようになり、これをなだめようとする祖母及び母をもなじり、その頻度と暴力性は日増しに昂進した。

他方、祖母及び母も、このように深刻な家庭紛争を抱えながら、ただSをおそれ遠ざけるのみで、何ら解決への真摯な努力を払おうとはしなかつた。最近においては、Sは、殆んど毎晩のように酒を飲んで来ては、あるいは晩酌をして、家族に対し暴言を吐き、乱暴を働いた。殊に、少年に対しては、「厭なら出て行け」「お前の父にいじめられたから、俺がお前をその通りにするんだ」「死ねばいい」「殺してやる」とまで言うようになり、茶腕を投げ、刃物を持つて立ち向うことも一再ならずあつた。昭和四〇年九月○日ころにも、少年に絡み、少年がこれに応ずるような態度を採るや、殺してやると称してのみを振り上げたことがあり、辛じて祖母及び母に取り静められている。その言動はまさに常軌を逸したものというべきであり、家族はひたすらこれを堪え忍んできた。

2  罪となるべき事実

昭和四〇年九月○○日にも、Sは帰宅するなり、晩酌を始めようとした。しかし、いつも燗をしておく祖母I子がこの日は仕事にかまけてその準備をしておかなかつたため、早速、茶腕で冷酒を飲みながら、燗をつけるのが遅いとか、沢庵がないのかなどわめきだした。家族たちはまた始まつたと警戒し、なるべく相手にならないようにSを癖けていたが、Sは母M子が一人で枝豆を食べていたのを見咎めて、「仕事をすれば腹が空くのが当り前だ。お前ばかりが難儀をしているのではないぞ」とつつかかつた。そこで、少年たちはそそくさと夕食をすませて、すぐ食卓を立つた。妹たちはテレビのある炬燵間に去り、祖母は風呂に入つた。

少年はSの矛先が自分に向つているのをおそれて、午後七時過ぎには近所にある○蔵大工の店に遊びに出かけてしまつた。しかし、Sのいらだつ感情は容易におさまらず、一人残つた母M子に「こんげなもの、よつぱら喰つた」といいながら、食卓上の味噌汁鍋に茄子清を皿ごと投げ込んだ。さらに、その夜はいつもと異なり、Sは夕食後も一升瓶を抱えて茶の間に行き、手酌で酒を飲み続けた。また、同年九月○日ごろに少年に絡んだ際、少年から「おお、自転車を磨くのだけ、人がたまげてほめているわ。それ以上に大事な仕事があるわ」などと揶揄されたのを想起し、そのときの余憤も加わつて、何度も家の中を歩き廻つては乱暴狼藉を働いた。炬燵間で横になつていた母M子に「人をなめてけつかる。馬鹿にするにも程がある」などと怒鳴つてこれを足蹴にし、内便所の窓ガラスを叩き割り、上寝間に寝ていた祖母I子を二度まで起して引きずり出し、台所で飯台をひつくり返し、皆が見ているテレビの差し込みを引き抜き、電球をはずしてその場に投げつけた。いつも早目に酔いつぶれるSも、この夜はなかなか寝ようとせず、「あの日言われたことが口惜しくてならん。今日はどんなにしてもやらんければならん。この家にあるのも俺は今日限りだ」とつぶやきながら、少年の帰宅を待つていた。

少年は同日午後一〇時半ころ、○蔵大工の店を出て、帰宅したが、家の表出入口附近で中の様子を窺うと、Sがなおも茶の間で酒を飲んでおり、怒鳴り声も聞えたので、暫くの間戸外で時を過ごし、Sの静まるのを待つた。しかし、結局待ちきれずに、一一時過ぎ、表出入口からSのいた茶の間を経て上寝間に入つた。

少年は早速寝ようと考えて、寝間着に着かえ、敷布団の上に立つて掛布団に手をかけたのであるが、丁度その時、Sが少年の後を追うように入つてきて、「何処へ行つてきた。」とたたみかけて詰問し、少年が答えないと見るや、その顔面を殴打したうえ、これに組み付いた。二人は組み合つたまま、南に面したガラス戸に倒れかかり、ガラスは割れ、戸ははずれて、大きな音をたてた。これを聞きつけて、炬燵間に仮寝をしていた祖母及び母が直ちに上寝間に駆けつけ、組み伏せられてじたばたしている少年を助けるべく、祖母がSの体にしがみついた。その拍子に、こんどは祖母がSに組み敷かれ、「ばさ、殺してやる」と脅された。少年は、立ち上りざまSを見ると、同人が祖母の上で右手にのみを持ち、これを振り上げていたので、危険を感じ、直ちにSの左手に廻つて、右手で同人の右手首を握り、左手にのみを掴んでこれを奪い取ろうと努力した。しかし、のみは容易にとれなかつた。

他方、祖母はSにのしかかられてどうしようもなく、のみにこそ気付かなかつたものの、Sの当夜の言動から、同人をなんとかしなければ自分たちが危いと感じ、その生命身体を防衛するためには同人を絞殺するも止むなしと考えて、手許にあつたメリンス帯(長さ約二メートル四〇センチ、幅約一八センチ)を母M子に手渡した。祖母の窮状をまのあたりに見ていた母M子は同女の意図を即座に了解して直ちにこれをSの首に数回巻きつけ、両名共同してその帯を強く引つ張り、Sの首を絞めた。

少年は当初のみを奪うことにのみ専念して、祖母らの行為には全く気付かなかつた。そのうちにSの力が急に抜けて、それまでどうしても取れなかつたのみがぽろつと取れたので、これを投げ出し、祖母らの方をみて、初めて同人らがSの首を絞めていたのを知つたのである。その時既にSはぐつたりとして殆んど動かない状態になつていたが、祖母らに「なも引つ張れ」と促されて、Sが息を吹きかえしたらどんな仕返しをされるかわからないという恐怖から、少年も祖母らに同調し、三名共同してさらにSの首に巻かれた帯を引き締め、よつて、同日午後一一時半ころ、その場でSを窒息せしめて殺害したものである。

二  罰条

刑法第一九九条、第六〇条

三  附添人の主張に対する判断

1  少年の行為は殺人行為に該当しないか

附添人は、少年が絞首行為を始めた時既にSは死亡寸前の状態にあり、少年の行為が加わらなくともSは死を免れなかつたのであるから、少年の行為は殺人罪の構成要件に該当しないと主張する。しかして、新潟大学法医学教室山内峻呉作成の鑑定書によれば、少年が絞首行為を始めた時、既にSは終末呼吸期か又は呼吸は停止していてもまだ心臓の摶動はつづいている時期にあつて、頸部の索条物を直ちに取りのぞき、人工呼吸等の応急医療行為を適切に施さない限り、少年が絞首行為に加わらなかつたとしても、Sを蘇生させることはできず死亡する状態にあつたことが認められる。しかしながら、同鑑定書は、同時に、少年の絞首行為開始当時Sは未だ死亡していなかつたことをも示すものであり、少年は祖母らの殺人行為の中途において犯意を生じ、これに加担したものというべきである。しかも、少年は祖母らの行為に加担するに当り、同人らの意思を了解し、同人らが既に惹起した状態を認識し、かつ、これを利用して、さらに絞首行為を継続し、Sを死に致したものであるから、法価値的には、当初より少年に共同実行の意思があつた場合と同視すべく、少年は、現実に共同実行の意思が生じた後の行為のみでなく、それ以前に祖母らがした行為をも含めて、絞首行為全体につき、共同正犯者としての刑事責任を負うものといわなければならない。しかして、少年ら三名の絞首行為が全体として最も典型的な殺人行為の一つであることは、多言を用いるまでもなく、明らかである。

少年が現実に加担した後の行為のみを抽出して構成要件該当性の成否を論ずる附添人の主張は、その前提において既に当裁判所と見解を異にするものであるから、進んでその内容につき実質的に当否を検討するまでもなく、これを採用することはできない。

2  正当防衛の主張について

次に、附添人は少年らの行為は正当防衛であると主張するので、この点について検討するに、祖母I子、母M子及び少年の当審判廷における各供述によれば、祖母I子は少年を救うべくSの体にしがみついた際同人に組み敷かれ、仰向けに倒れている祖母I子の上にSがのしかかつて、右手に持つたのみを振り上げ「ばさ、殺してやる」と言つたことが認められる。もつとも、本件犯行現場が少年らの家屋内にあつて、共犯者以外に目撃者がいないうえ、警察官が最初に現場に到着した時祖母I子はまだSの死体の下敷きになつており、また、それ以前に駆けつけた○川○六が上寝間にのみがあるのをみて片付けるように言つたのに対し、母M子らがこれを拒否しているなど現場の保存が余りにも完全であつたことは、かえつて偽装工作の臭いを感じさせないでもないが、他方、祖母I子は本件犯行継続中Sがのみを持つていたことに全く気付かなかつたといい、母M子はSが何か持つていることには気付いていたが、それがのみであることについての明確な認識はなかつた旨終始一貫して供述していることは、かかる疑惑を否定するに足るものとみてよかろう。蓋し、同人らが偽装を思い立つたとしても、ここまで複雑かつ詳細に工作することは、その知識及び経験に照らし、考えられないからである。そうとすれば、他に特段の事情がない限り、Sの上記行為は少なくとも祖母I子の生命身体に対する「急迫不正ノ侵害」といわなければならない。ところで、被害者たるSは本件犯行当夜四合前後の酒を飲んで死亡時にもある程度酩酊しており、絞首に対しても殆んど全く抵抗した形跡がないことは、Sが当時十分な行動力を欠いていたのではないかという疑念を生ずる。しかし、Sが当時泥酔していたと認めるに足る資料はなく、また、絞首に対して抵抗がなかつたことも、その際にSが体の自由がきかない態勢(左手には自己の体重がかかり、右手は少年に強く握られていた。)にあつたことを思えば、これをもつて一概にSの行動力の欠除を基礎づける事実とはなしがたい。さらに、Sは本件以前にも刃物を持つて家族に立ち向つたことが一再ならずあるが、いずれも傷害を与えるまでに至つておらず、本件犯行当夜も少なくとも当初は少年を素手で殴つているだけであり、その段階では重大な危害を加える意図があつたことは認められないことから、Sにどの程度真摯な侵害意思があつたかについても疑いなしとしない。しかし、本件犯行当夜Sは同年九月○日ころ少年に揶揄されたことに対する余憤も手伝つて乱暴狼藉を繰り返し、その執拗さには常時と異なるものがあつたこと前判示のとおりであり、また、少年及び祖母I子の当審判廷における各供述によれば、上寝間におけるSの攻撃には相当の迫真性があつたことも認められるから、これらの疑問点もただ疑問として払拭しきれないものが残るというに止まり、これをもつて直ちに前記「急迫不正ノ侵害」を否定し去ることは到底できない。

そこで、防衛意思の存否につき判断すべきところ、まず、祖母I子及び母M子が絞首に着手する際、果して同人らにI子の危急を救う意図があつたかどうかが問題となる。祖母I子及び母M子の当審判廷における各供述によれば、祖母I子は当時Sにのしかかられて身動きのできない状況にあり、のみにこそ気付かなかつたものの、Sの当夜の言動に尋常でないものを感じ、Sをなんとかしなければ自分たちが危険であり、その生命身体を防衛するためには同人を絞殺するも止むなしと考えて、手許にあつた帯を母M子に手渡したこと、しかして、母M子は祖母の身動きできない状態をまのあたりに見、その祖母から帯を手渡されて、即座に同女の意図を察知し、同女と同様の考えの下に、渡された帯をSの首に巻きつけ、これと相前後して、Sが予想通り手に何か持つていることを知つて、その帯を引き締めたことが認められるので、同人らが本件絞首行為を開始したのはまさに祖母I子に対する前記のごとき急迫不正の侵害から同女を防衛するためになされたものというべきである。それでは、少年がSからのみを奪取し、Sが既にぐつたりとしてしまつたのちもなお少年たちは防衛意思をもちつづけたものといえるか。少年ら三名の当審判廷における各供述によれば、同人らはいずれも、もしSが息を吹きかえしたらどんな仕返しをされるかも知れないものとおそれて、さらに絞首を継続したことが認められる。もつとも、絞首行為はその性質上多少なりとも時間の経過を伴う継続的行為であるから、その間に複雑な意識が交錯し、複数の動機が発生消滅することは十分考えられるところであり、司法警察職員に対する祖母らの供述中には、Sの仕返しをおそれるというよりは、むしろこの際Sをなきものにして家庭の平和を取り戻さんとの積極的な意図があつたことを窺わせる部分も散見されるが、さりとて少年らが専らあるいは主としてかかる意図の下に絞首行為を継続したと断定するに足る資料はない。したがつて、当時既に客観的にはSの侵害行為は終了していたものといわなければならないが、少年らの防衛意思はなお存続し、その絞首行為は全体として一個の防衛行為ということができよう。

最後に、少年らの絞首行為はその生命身体を防衛するため己むことをえざるに出た行為といえるかどうかにつき検討しなければならない。まず、少年がSからのみを奪取する前の段階においてはどうか。母M子がSの首に帯を巻きつけた際、少年は既にSの右手首を強く握り、のみも掴んでいたのであるから、祖母らの生命身体を防衛するためにはSを絞首するまでの必要性はなかつたとも考えられないではないが、少年及び母M子の当審判廷における供述によれば、祖母らの絞首行為によりSの力が抜けて始めて少年はのみを奪うことができたのであり、それ以外に適切な防衛手段も考えられない状況にあつたものと認められるから、該行為は防衛行為として必要かつ相当なものであつたということができる。しかしながら、少年がSからのみを奪取した時には、既に祖母らの絞首行為によりSの侵害的態勢は崩れ去つていたのであるから、その後少年も加わつて絞首を継続し、Sを窒息せしめたのは明らかに行き過ぎであつて、少年ら三名の行為は全体として防衛の程度を超えたものといわざるをえない。よつて、附添人の正当防衛の主張は採用できない。

四  処遇事由

本件犯罪の罪質からみて、当然、少年を刑事処分に付すべきか否かをまず検討しなければならないところ、少年らがSを殺害するに至つた経緯は前判示のとおりであつて、本件発生の背景は、主として、「おじなおり」の因襲、Sの性格偏倚、家産の少年への帰属、祖母及び母の家庭紛争に対する認識不足と解決への熱意の欠如等に求められる。また、本件の直接的原因もむしろ一方的に被害者Sに求められるべき状況にあつて、これらの面で少年の責に帰すべき点は殆んど見出しえない。そのうえ、少年が本件において果した役割は極めて軽い。少年は祖母I子に促されて犯行の中途から絞首行為に加担はしたが、当時既にSは死亡寸前の状態にあり、少年の行為が加わらなかつたとしても、適正な応急措置を施さないかぎり、死は免れなかつたものである。その他、本件所為が前段認定のごとく過剰防衛行為であること、少年は若年で前科なく、日頃から真面目な青年であること等を考慮すれば、人の生命を奪うことは最も重大な犯罪であつて多かれ少かれ少年以上に責任の重い祖母I子及び母M子については仮に別異に考える余地があるにしても、少年に関する限り、刑事処分に付するまでの必要性は乏しいものといわなければならない。

次に保護処分の要否につき考察するに、鑑別結果によれば、少年は神経質で些細なことを気に病み、自己の内面をそのまま外部に表現できない傾向があつて、全体として小心翼々とした自発性の乏しい硬い人格とみられ、考え方にも独断的な面があり、他人との意志の疎通も十分でないなど社会適応能力の貧困さが指摘されている。また、調査及び審判の結果によれば、本件自体及びその後の強制捜査に際しても、殆んど感情的起伏を見せず、平然としており、妙に感受性が乏しく、価値観も瞹昧であることが窺われる。しかしながら、これまでのところ非行々為として顕現したものは原動機付自転車の無免許運転一件に止まり、今後も非行の発生を予測させる材料は見当らない。

他方、保護体制をみれば、祖母及び母と少年とはもともと家族としての心理的紐帯で鞏固に結ばれていたのであるが、本件に及んで宿命的に一体化した感があり、かつ、Sの死亡により結果的には家庭環境が改善されたとさえいうことができる。また、近親者も相寄り相助ける体制が強まり、加えて近隣の同情すらある状況にある。

以上を総合すれば、本件は特異な環境に誘発された一過性非行とみるのが相当であつて、現在のところ少年につき要保護性は認められないから、少年法第二三条第二項により主文のとおり決定する。

(裁判官 佐久間重吉)

編注

1 少年に対する検察官処遇意見「しかるべく」

2 共犯者に対する処置

昭和四〇年一〇月六日 母および祖母不起訴処分

昭和四〇年一〇月一二日 母および祖母に対し検察審査会の職権審査

昭和四〇年一二月二四日 母および祖母に対し不起訴不当議決

昭和四二年六月一〇日 右議決に対し捜査の結果不起訴維持

参考1 少年調査票〈省略〉

参考2 外来鑑別結果通知書〈省略〉

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